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小国大輝論―西郷隆盛と縄文の魂


自著を語る

 

この本(『小国大輝論』)は、じぶんでいうのも何ですが「上田篤の世界」のルポルタージュのようなものです。

それはまず、十七年まえの阪神淡路大震災に始まります。そのショックでわたしが建築家をやめて思想家に転身したいきさつをお話しています。

そしてこんどの東日本大震災です。そこでおきた放射能災害の原因は、とどのつまり日本の官僚の業(ごう)のようなもので、その日本の官僚は「江戸の武士」が刀をペンにもちかえた「近代の学士」にすぎず、したがって現代は「後期江戸時代である」という衝撃的結論(?)に到達いたします。

ではそういう「後期江戸時代をつくった明治維新とは何であったか?」というと、それは維新を推進した西郷隆盛の「農本主義」を抹殺して、十九世紀のプロイセン国家の「富国強兵路線」に走った大久保利通の創作物であり、そのごのドイツ帝国が崩壊したように、大久保のつくった大日本帝国も昭和に破産したのでした。

いっぽう、明治に西郷や木戸孝允が注目したスイスはもともとドイツとおなじような領邦国家つまり部分国家の集合でしたが、そのごのドイツが中央集権国家に走ったのにたいし、地域分権国家の道を歩み、近代百五十年間に帝国をつくらず、戦争をせず、植民地をもたず、しかし今日、国土は美しく、文化は高く、所得は世界一という国家をつくりあげました。

そうなった原因は、世界のおおくの平地農民が豊かな地域に発達した農業一筋の「農奴的農民」であったのにたいし、スイスの山岳農民は、貧しい地域で創意工夫をこらす「職人的農民」つまり自由農民だったからです。スイス人はその自由農民の生き方を失わずに、今日、地域分権国家をつくりあげたのでした。

ところが、かつての日本の百姓も「七内八崎」の国土にすんだ山海農民で「つくれないものは何もない」といわれたほどの職人的農民でした。しかもそういう創意工夫をこらす自由農民的伝統は、そもそも弥生時代をさかのぼる縄文時代の森のなかに生きた「山海民」から始まったものだったのです。

そこでわたしの想像力は一挙に縄文時代に飛びました。そして縄文社会が一万年もつづいた秘密は、自転車を小刻みに動かしたときに倒れない「動的平衡社会」にあり、具体的にいうと、動物一般と同じように「食べること」「食べられないこと」「種の保存」の三つを守って生きぬいたこと、今日のことばでいうと「自立・連帯・奉仕」の精神を守りとおしたことでした。

そしてそういう縄文人の「自立・連帯・奉仕」の伝統をうけつぐ三千年の百姓を擁護したのが西郷であり、それを抹殺したのが明治政府だったのです。

そのけっか今日の日本社会は、上は総理大臣から下はコンビニのバイトにいたるまで自立精神をうしなった組織人間、つまり「サラリーマン」と化してしまいました。東日本大震災にみる政府や東京電力の混乱などは、このような「サラリーマン社会の無責任さ」を象徴するものといっていいでしょう。

そこでそこから脱却するために現実の日本社会をみると、わたしたちの身の回りには、旬の味、日本の家、職人の技術、自然への回帰、大きな森など、なおたくさんの「縄文DNA」があり、それらを見直して、資源小国だが「技術大国」へ、国土小国だが「自然大国」へ、情報小国だが「文化大国」へといたる道を模索し、小さな国が大きく輝く「小国大輝」という未来を論じたのが本書です。

以上がこの本の粗筋ですが、しかし話は大震災に始まり、官僚論、明治維新論、西郷論、スイス論、自由農民論、縄文論、縄文DNA論そして小国大輝論と、変幻きわまりない世界をたどるルポルタージュのようにみえて読者を戸惑わせるかもしれませんが、そこに一貫しているものは、いまのべた「自立・連帯・奉仕」という縄文人いらいの日本人の規範であり、それが「大和心」である、というのがわたしの訴えたかった趣旨であります。

ということでみなさん、その「大和心」なるものを、みなさんもぜひ一度かんがえていただけないでしょうか?


「大和心」をかんがえる
―『小国大輝論』出版にあたって(藤原書店『機』所収)

 

2011年3月11日におきた東日本大震災、つづく福島原発汚染、それらの災害にたいする政府・関係者のお粗末な対応、さらに円高、財政危機、領海領土侵犯、女性宮家、憲法改正等をめぐる今日の社会的問題ないし混乱にたいして「問題はすべて日本社会の内部にあり。その問題をはっきりさせないかぎり事はいつまでたっても解決しない」ことをのべたのが本書である。

原稿は2011年末に完成したが、2012年春、ゲラを読みかえしみて、あまりに多くの問題をとりあげ、一刀両断に断罪し、結論をいそぐ性急さにいささか気恥ずかしさをおぼえた。明治維新、富国強兵、百姓解体、天皇利政、帝大官僚制、中央集権制、原発開発などにたいする息つぐ暇ない批判である。

たしかにこれらは、過去16年間、わたしの書いてきたものの延長上にあるが、初めて読まれる読者は少々面食うかもしれない。にもかかわらずそのまま上梓したのは「批判は甘んじてうけるが、それを回避するあまりわたしの問題意識を曇らせまい」とする思いからである。

その問題意識とは、日本文化の本質にかんするものだ。一言でいえば「大和心」ということである。日本人は今日、その大和心を忘れさってしまったのではないか? したがってすべての問題は、大和心を忘れさってしまったことに起因するのではないか?

江戸の国学者の本居宣長は、大和心を日本の歌のなかにみて「物のあわれ」といった。それは「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」のように、日本人の意識を政治でも道徳でもなく、自然の感懐のうちにみるものである。聖人君子の道を説く唐心(からごころ)にたいして「上古の君臣みな自然神道を奉じ、身修めずして修まり、天下治めずして治まった」と宣長は古代を懐かしむのだ。

明治の民俗学者の南方熊楠もまたおなじことをいう。かれは日本歴史を
①明治維新以降の欧米文化の影響下時代
②奈良遷都以降のシナ・インド文化の影響下時代
③それ以前の日本独自のものが純粋な形で存在していた時代
の三つに分け「その一番古いタイプは巨大なタブーの体系ともいうべき宗教的禁忌によって維持された。それが神道であり、その多くはいまも存する」とのべる。

また明治・大正・昭和の哲学者の西田幾多郎は西洋哲学を学んだのち、さらにみずからの座禅体験から「純粋経験」という概念を提起し、それによって日本人の知識・道徳・宗教の一切を基礎づけようとした。今日風にいえばさしずめ左脳の活動を停止して右脳の活動からスタートするものだろう。その座禅体験は鳥や獣のように動物の本能的感覚から出発するものだからである。

とすると「そういう純粋経験は未開の生活をおくっていた人間の行動感覚にも通じるのではないか?」ということから、わたしは日本歴史を、従来の律令制以後の千三百年の政治史でなく、古墳・弥生、さらには縄文時代にまでさかのぼる「一万三千年の日本民族史」として見なおすことをかんがえた。そうしなければ、これからさきの日本社会も論じられまい、とおもったからである。

その結果、一万三千年の日本人の歴史を通じて、そこには、当初はほぼ完全に、そして江戸時代にあっては曲がりなりにも「自立・連帯・奉仕」という日本人の価値意識が存することを知ったのである。

それがなくなったのは、明治維新以後の近々百五十年のことである。明治政府が西洋近代化を急ぐあまり、政治の中央集権化と国民のサラリーマン化を強力におしすすめ、それまでの一万三千年間、地方に割拠していた山海民、百姓、サムライ、郷士たちの社会と制度をつぎつぎに解体し、その元締めというべき西郷隆盛を抹殺したからだ。それとともに「自立・連帯・奉仕」という価値意識もまた日本社会からしだいに失われていったのである。

その結果、現在の最大の問題は、わたしたちがいまもなおその「百五十年」のなかに生きていることといえるのである。

ここで「自立・連帯・奉仕」というといかにも難しくきこえるが、じつはよくかんがえてみると動物たちもみなやっていることだ。

たとえばどんな動物もまず「食べること」が第一である。それがなければ即、死だ。だからかれらは子供時代をすぎたら、親から「自立」し、必死になって食べ物をさがす。

つぎに「食べられないこと」である。どんな動物も他の動物に食べられてしまっては元も子もない。ためにかれらはたえず周囲を警戒し、さらには群をつくって「連帯」をする。

三番目に「種の保存」である。個が生存できても子孫が生存できなければ種は絶滅する。だからかれらはこれまた必死になって子育てという「奉仕」にはげむ。そこでは、しばしば動物といえども涙ぐましい風景を現出させる。

とすると「自立・連帯・奉仕」というのは人間だけの美徳ではなく、動物たちもみなやっていることだ。それができない人間は動物以下ということになる。

ただし、人間はさいごの奉仕に、子育てにくわえて「太母敬愛」ということがある。というのも人間の未開社会の最小集団単位はクランとかゲンスとかいわれる氏族社会すなわち血族社会だが、その血族社会を維持するためには、始祖とされるグレートマザーすなわち太母の存在が必要だからである。

その証拠が縄文の人間土偶だ。縄文の人間土偶はたいてい腹に子をもつ母像である。そして今日、全国で二十万点をこす大量の母像が発掘されている。しかしそのほとんどは壊されて出土している。

これについてはいろいろの説があるが、わたしは一つの血族集団が災害や伝染病あるいは子孫の欠如などによって絶えたあとに、新たにべつの血族集団がやってきて、まえの血族のグレートマザーである土偶を壊して供養したのち、新たに自分たちのグレートマザーをおいたため、とみている。整然たる貝塚をみてもわかるように、供養という日本文化は縄文時代にすでに生きていたのだ。

じっさい、今日各所に発掘される縄文住居はしばしば五百年、千年、五千年とおどろくほど長期間継続されていたが、一つの血族集団がそんなに長続きするはずもないとなると、いまいったようなことが想像されるのではないか?

とすると、太母敬愛というのは動物にはみられない人間社会の特徴、あるいは人間の最初の文化かもしれない。太母という架空の存在によって血族集団がスムーズに維持されるからだ。以後の祖先崇拝、郷土愛あるいは愛国心なども、その根底にはこのような太母敬愛があったのではないか、とおもわれる。

かんがえてみると、縄文時代の一万年は、十万から三十万ぐらいの小人口が日本列島にうすく、かつ、ひろく分散していた。というのは、それら血族集団が自立するために、山海に一定のテリトリーを必要としていたからだ。ために集落はたがいに数キロ以上はなれていた。しかしいくら離れても、それはわかい男の一日の行動圏にあったとおもわれる。

というのは、それぞれの血族集団はみな太母の子孫とされ、ために内部にインセストタブーがはたらき、血族集団内では若い男女が伴侶を見つけられなかったからだ。必然、わかい男はたえず他の集落の女を妻問いすることになる。集落間が一日の行動圏にあったわけである。そのとき、宣長のいう求愛の歌が生まれただろうことは『古事記』の多くの説話がかたるところである。

また男たちは、女たちに歌だけでなくさまざまの贈り物を持参したとおもわれる。日本列島は北から南まで三千キロメートルもあるが、にもかかわらず、そこにみられる土器や土偶、装身具や住居などがおそろしく似通っているからだ。それはこのようなわかい男たちの妻問い行動と贈り物のせいだろう。つまり若者たちの愛の行動が縄文社会に共通の文化を生みだしたのである。この超過疎社会に巧まずして「情報と物資の超交流の制」を確立したのだ。

その影響のせいだろう。今日も日本社会の情報と物資の交流は盛んなものがある。日本文化がいまなお都鄙に定着していることがわかるのである。

とすると、これからもわたしたちはこのような縄文路線をしっかりもって歩んでゆくべきではないか? つまり各人が「自立・連帯・奉仕」の意識をつよくもつことだ。それがわたしのかんがえる「大和心」である。

そういう大和心をもって明治維新いらいの「魔の百五十年」から一日も早く脱却し、縄文文化をうけつぐ明日の日本を築くための政策を論じてみたのが本書である。


もくじ

 

まえがき 混迷の日本をかんがえる                       

「阪神淡路大震災」/人生が変わった!/日本人の原型は縄文人にあり

1 だれが原発をつくったか?――日本の官僚をかんがえる

大事なことをなぜ隠すのか?/「地震感知」をなぜやらないか?/福島原発からなぜ放射能か?/地球の「地震の巣」のうえになぜ原発か?/だれが原発をつくったか?/官僚とはなにか?/「百姓は由らしむべし知らしむべからず」/武士官吏から「天皇官僚」へ/ペンは「新しい刀」/スエズ運河封鎖で日本が変わる/予算の分捕りから「パイの拡大」へ/天皇官僚が「経済官僚」になった/「ペンタゴン」の馬車/「費用便益比率」が金科玉条に/原発を効率的・経済的なものにする/「ガリ、チン三年、ナメ八年」/官僚の「三痴」/パイ拡大思想の原点は明治か?

2 明治維新は何だったのか?――西郷隆盛と百姓が殺された

明治維新は何だったのか?/「維新の元勲」がなぜお札にならないか?/政治家は西郷を敬遠する/「逆賊」であってほしい/明治六年の政変は政権奪取の陰謀/西郷を「征韓論者」に仕立てあげる/洋才から富国強兵へ/富国強兵が国是に/パイ拡大思想の原点はプロイセンの大国主義にあり/プロイセン大国主義の破産/ドイツの「疾風怒濤時代」がなぜ省みられなかったか?/ヨーロッパの都市になぜ古い町並か?/ドレスデンの聖母教会がなぜ復元されたか?/「早起き、挨拶、敬老精神」/「わが国の本体をすえ、彼の長所をとれ」/西郷は地域分権国家をめざす/「西郷王国」は抹殺された

3 もう一つの「明治維新」――スイスにまなぼう

木戸孝允とスイス/西郷隆盛とスイス/信義の国・平和の国・豊かな国/直接民主主義はどうして生れたか?/アルプスの貧しい土地/創意工夫をこらして自由農民に/傭兵から産業革命へ/一八四八年の「スイス維新」/直接民主主義は衆愚政治か?/永世中立は武装中立だった/地域の自衛なくして地域の自立なし/スイス人は「サムライ商人」/スイスの女性がなぜ女性参政権に反対したか?/日本は半独立国か?/サムライはどこへいったか?/百姓は殺された!

4 日本の国の原点をかんがえる――一万年の縄文社会にあり

日本は「森の国」/縄文社会がなぜ一万年もつづいたか?/変化・安定・永続の動的平衡社会/食べること――自立/食べられないこと――連帯/種の保存――奉仕/縄文時代は終わったが「縄文DNA」は残った/イナダマが統一国家をつくった/突如、天皇があらわれた/ヤヨヨロズの神さまを祭ってきた/天皇はアマテラスの子孫ではなかった/アマテラスは縄文人だった!/「縄文DNA」が明治維新をひきおこした/日本の山は工場である/伊勢神宮は縄文の森だ

 

むすび 「小国大輝」の日本――縄文にかえろう

「科学ある者の最後」/科学は「パンドラの箱」に!/日本の山をかんがえる/情報が日本を変える/「自立・連帯・奉仕」/技術大国――活物在魂/自然大国――観天望気/文化大国――温故知新/「小国大輝」/死んでたまるか!日本/「天皇はヒミコにかえれ」

 

あとがき

 

主な参考文献