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建築から見た日本―その歴史と未来

 


近々、以下の一著を表しましたので、皆さんのご批評をいただければ嬉しいです。

上田篤編、縄文社会研究会著『建築から見た日本ーその歴史と未来』(2020年10月1日鹿島出版会刊)

概要

この頃、日本人は中国や韓国から「日本人は歴史を知らない」と言って笑われている。言われてみると確かに問題はある。第二次大戦後、戦前の「皇国史観」は荒唐無稽な話が多く、日本の歴史学者も応神天皇以前あるいは雄略天皇以前は存在しなかったとみる学者が多い。そこで作家の松本清張が『古代史疑』なる本を書いて、ヤマタイ国は九州にあると論じた。しかし九州からは都市や古墳の跡が発掘されない。一方、大和では纏向遺跡が発掘されたが集会施設等があっても民家はほとんどない。一方、考古学的には、三内丸山遺跡などが発掘されて神殿建築か、と大騒ぎされた。しかし、未だ決着がつかず、日本列島の北から南まで16万基の古墳が存在しているが、宮内庁の規制がありほとんど手つかずのままになっている。しかし、これほどの大多数の古墳が手つかずのまま存在している国もない。つまり日本は、歴史的断片が山のようにあるのに手つかずの状態で、外国からは「歴史のない国」だと笑われている。そこで現在残る多数の神話、物語、そしてこの数千年の大地の変貌から日本の古代史を明らかにしようとした。それが「建築から見た日本」であると言うことです。

そういうこの本は、日本の国の歴史をその風土に生きた人間と、その人間の住まいである建築の視点から論じたもので、その主たる論点は以下の六つです。

1 日本の国の風土は、旬に見られる自然の規則的な変化性と各種災害に見られる自然の不規則的な破壊性とを併せ持ち、ために縄文時代以来、人々は山の高みなどの安全な土地に定住し、その上で智恵と工夫を凝らして旬の食材を確保してきました。そういう「何でもやる」という人々の生き方は「百姓」というべきもので、すると、百姓は縄文時代に始まったのです。

2 続く弥生・古墳時代に海外から稲が、次いで鉄が、また国作りに長けた渡来人たちがやってきて縄文人の伝統の「火で石を割る技術」や「矢板で川を作る技術」などを用いて各地の泥海や泥沼を稲田にし、百姓達を喜ばせ、さらに古墳を作って地元の豪族達を権力に取り込み、その豪族連合の上に「天皇制システム」を作り上げ「二千年の稲作国家」を樹立しました。

3 それらのことは従来の「皇国史観」「反皇国・実証主義史観」「九州と大和のヤマタイ国論」「三内丸山神殿論」などでは説明つかず、ここに古代における日本海岸の交通の発達、アジア大陸との交流、古代出雲人の宍道湖稲作開発、塩害による失敗、その結果の「古代出雲人の大和東遷説」等を提示しました。そしてそれが大和で結実し稲作国家が生まれたのでした。

4 しかし時代が進んで豪族連合国家が律令国家に変ると、国や豪族だけでなく百姓達の多くも山地や僻地などに私田を自力開発して名田とし、それら名田を守るために刀や館や城などを持つ武士となり、一方、国家の運営を官僚に奪われた天皇は「子作り」に励んだ結果の多くの子供達がそれら有力武士の家に臣籍降下し、世は「源平の争乱時代」などとなりました。

5 つまり日本の国は百姓と百姓を支配下におく天皇と天皇の血を受け継ぐ武士が「天武百巴」なる三つ巴となって争闘を繰り返し、それに寺社勢力などが絡まり、最後に武士が天下を取って幕府を建てましたが西欧諸国の植民地化を恐れ鎖国、ために科学技術の発達が遅れ、別の武士達が天皇を擁して幕府を倒し、富国強兵国家を作って欧米と争い最後に破滅しました。

6 そして昭和の敗戦後、日本はアメリカの従属国家になり経済は繁栄しましたが今日、中国が台頭、その国土力、人口力、経済力、軍事力、新型コロナ・ウィールスの感染力、同ワクチンの開発力などで世界を圧しています。そこで日本は「天地人笑」つまりこの国の天の自然と、地の歴史と、人の連帯とを愛でながら、笑って生きる道を考えてはどうでしょうか?

目次

はじめに
序章 木の建築の国国
Ⅰ イエ
1 縄文百姓 縄文人は泥海の高みに一万年以上も住み「士農工商」の何でもやるいわば百姓だった
2 縄文祭柱 縄文の男は夢と命を懸けてグレートハンティングし、祭事に柱を立てて一致団結した
3 民家不変 縄文以来、民家は日本の自然に適応し、今日までその姿や形ほとんど変えていない
Ⅱ ムラ
4 日本海帯 東の青森から西の下関までの「日本海千キロ」は縄文・弥生時代の情報ベルトだ
5 弥生戦国 大陸難民日本渡来。九州、瀬戸内、近畿、日本海で次々動乱発生。豪族国家誕生す
6 東西出雲 胡人と海人の子の天孫が高天原で稲を知り西出雲と大和で泥海日本を稲田日本にした
7 川分作村 神功皇后は那珂川上流で川を分け、雷神を呼び、岩を蹴裂いて神の田と村を作った

Ⅲ ミヤ
8 裂岩拓野 大和纏向で一人の巫女が、岩を蹴裂き湖面を下げ、杭を打ち沃野にする「鬼道」実践
9 倭人造墳 倭の大王はと海人族が、日本各地の岩を蹴裂いて湿地を拓き、古墳を作り、豪族化した
10 飛鳥多宮 天孫の呪術力を持つ大王は一代限りの王権で、飛鳥各地に多数の宮が生まれては消えた
11 伊勢天原 ヒメヒコ制が崩れ、天照派は大和を去って伊勢に山居し、高天原的百姓世界を作った

Ⅳ ミヤコ
12 諸都無壁 四方山囲と地政学的位置、「稀人待望」の王権のあり方から京都に無壁無用とした
13 出雲巨宮 出雲大社の建築に謎多く、沢山の学者が取り組んできたが今後も研究は続けられよう
14 仏塔不倒 五重塔は心柱中心の複雑構造。棟梁達は十分の一雛型模型で検証し、地震不倒とした
15 家内脱靴 日本の家には神様が庭、縁側、座敷、常居を経て神棚に来臨。ために家内脱靴となった

Ⅴ シロ
16 名田立士 谷地等を自力で開拓した百姓は田に名を付け、刀と館と寺と山城を持ち、武士になった
17 城堅町脆 戦国武士は城を不燃堅牢にしたが、城下の家々は「自焼き」のために可燃脆弱にした
18 川除立国 天下を取った家康は京大阪に行かず、利根川東遷、荒川西遷し関東平野を沃野した
19 婆沙羅椅 神様来臨で人々は床に這いつくばったがバサラ達はそれを拒否。椅子を使って滅びた

Ⅵ マチ
20 水網結邑 地勢上、日本は道路困難、河川が地域を結び、村、町、社、寺がその結び目になった
21 結庵解原 室町時代に多くの僧、武士、商人達が市中の隠居で対話・対禅し、心身を爽快にした
22 弱屋強家 火事や大風に対し京町家は強く江戸長屋は弱いが、それは神様の在、不在のせいなり
23 天武百巴 日本歴史は天皇と武士と百姓の三つ巴で展開されてきたが明治維新いご百姓は消滅か

Ⅶ トシ
24 嫌木好鉄 明治政府は「和魂建築」を捨てて「洋才建築」を進めたが建築界は今なお思案中なり
25 民愛木宅 庶民は近現代にもなお和風木造住宅を愛し、郊外に「庭付き一戸建て住宅」を建てた
26 防災人和 建物が木でも石でも防災の要は住民の和だが、それが失われると地域は不安定化する
27 有林無家 大方の日本人は毎日、山と木を見て暮らしているが、その木でなぜ家が作られないか

Ⅷ 未来のトシ
28 千年木家 鉄骨造やRC造の寿命は短いが木質建材の家は工夫次第で「千年の家」も可能になる
29 流域宇宙 源流の息遣いを留めつつ、山・里・海へと至る「河川流域中心の新高天原」を作ろう
30 田園都市 世界の一千万都市は崩壊。日本は百花斉放の「三千の田園都市連合」をめざすべき
31 天地笑生 日本の地に立ち、天を仰ぎ、皆が手を組み笑って生きるを良しとする人生を考えよう

展望 「半鎖国日本」の提案
あとがき